kumagusuの音楽にないもの

これは私の能力に依るところもあるのだが、
kumagusuの曲は覚えにくい。

イントロからAメロ、Bメロ、サビ….というように、一般的なポップミュージックは、ここまではA、ここからはBというように境目が分かるのだが、彼らの曲はその境界が曖昧でボヤけており、AからグラデーションするようにBへ移行し、いつの間にか展開がC、Dまで進んでいる。

どこからどこまでがAだったのか、さっきのメロディは何小節回したところでひと区切りだったのか、それはこの曲の中で何回出てくるのか、これはAメロの繰り返しではなくDメロなのか?….など、聴く時は違和感なく聴けるが、実際のところどういうパーツをどう組み合わせて出来ているのか、何度聴いても覚えられないところがある。

バンドにおいて、声やギターやサックスが「ウワモノ」と呼ばれるのは、ドラムとベース(リズム隊)という土台もしくは乗り物に「乗って」いるからで、リズム隊が持つ「今どこ」なのかをプレイヤーとリスナー双方に提示する標識的な機能の上で、「ウワモノ」は自由に歌ったり拍や調を無視したソロを弾いたりすることが出来る。

実はkumagusuの音楽にはその「標識」的なものが希薄だ。曲の中に標識(目印)となる「パターン」を見つけるのが難しく、たとえ見つけたとしても役に立たない。標識ではなく景色であり、「今どこ」なのか、「どこに向かっているのか」と接続されない。
比喩に比喩を重ねて恐縮だが、「型を使わずに固めたゼリー」のような訳のわからない力学の上に成り立っている。
先日リリースされた3rd アルバム『kumagusu』を聴きながら改めて、彼らの音楽に「無い」ものに思いを巡らせたところ、思ったよりも色々なものが無いことに驚く。

ライブにおける強靭かつ安定した演奏を知っているからこそ気づかなかったが、彼らの演奏にはユニゾン的な増幅が無い。 各々が各々の演奏をすることで「結果としてこの形」になっているだけであって、全員が一点に力を集めて大きな点を作るような、曲を内側から膨張させる力が働いていない。 彼らは、それぞれが「外」から何かを持ち寄りどこかで合流する。その合流地点のぶつかり合いや密度が曲のダイナミクスと比例している。 曲が盛り上がっていく時、それはユニゾン的な共同作業・団体行動によってなされるのではなく、場所とタイミングだけを決めて集合することによって即興的に形や大きさが作られていく。 彼らの演奏には「依存の確認」が無く、ひたすらに「自立の確認」だけがある。(思えば、ステージ上でほとんどアイコンタクトを取っていない気がする。) だから驚くべきことにリズム隊という乗り物に「誰も乗っていない」瞬間が多々ある。
道(展開)の輪郭はぼやけ、標識は無く、誰も乗っていない車が走っている街というのを想像する時、kumagusuのアートワークに頻出する「歪んだビル群」というビジュアルイメージと合致するところがある、というのはこじつけが過ぎるか。

『kumagusu』はその基本スタイルを刷新している。
M2「連続したい」M3「窓割り」を例にとるなら、前者はいわゆる「サビ」が、後者はドラムのリズムがそれぞれ、これまでの楽曲になかった「土台感」を作っている。 インスピレーションの一つとしてフェラ・クティが挙げられているが、つまり彼らはようやく「反復」という音楽の基礎を取り入れたということだ。反復と言っても、その快楽性を増幅させたブラックミュージックやクラウトロックのそれではなく、曲の中の小さな「パターン」と、それが「繰り返される」大きなパターンを作るという基礎的な反復だ。そんなものが、これまで「無かった」ことに驚く。 彼らは実は常にバラバラだったのだ。そして、基礎を獲得したのはあくまでも音楽の構造レベルの話であり、実際の演奏はこれまでにも増してお互いが「外」からぶつかり合うようにしてその形を作っている。

調性の面でも新しい試みがある。これまでのkumagusuは明るくも暗くもない響きの中にいた。それがこのアルバムでは、M7「船酔い」を代表とするような明確に短調の響きを持った曲がある。彼ららしいのは、決してマイナー調の響きに耽溺することはなく、長調の明るい響きとの往来の中で彼ら独自の抒情性を作り出しているところだ。それは彼らの音楽から立ち上がってくる「雑踏」感

インタビューで「これまでの自分達の音楽には顔がなかったが『kumagusu』には顔がある」と語っている通り、このアルバムは「ある」ことで新しい。 そして「ある」アルバムの新しさに触れることで改めてこのバンドが実は「無い」ことによって自分達の輪郭を意識的に作っていたという職人的ストイシズムが浮かび上がってくる。

確かにkumagusuの音楽は、粘土で自由に形を作る子供のような顔ではなく、削ることで形を掘り出す彫刻家のような顔をしている気がする。 今作のアートワークが版画であることも象徴的だが、このバンドの本質はやはり「削る」ことなのではないか。 自主レーベルの名前も「無」呼吸ファンクラブだし。